一つ前⬇︎
「好き・・・嫌い・・・好き・・・嫌い・・・」
かおりしゃんの右手の携帯電話がピシリと音を立てる。
そして凍りついた砂のようにサラサラと崩れ落ちていく。
何も無くなった手の平を見つめる、かおりしゃん。
その様子を見ながら、ほしみはくるくると黄色い傘を回していた。
あの子の能力は何だろう?
あの尋常じゃないオーラの放出から察するに、その能力も凄まじいものだとは思うけれど、1回戦では発現しなかった。
発動条件が、よほど厳しいのかもしれない。
でも、それはつまり発動させた時の危険性の裏返しってことで。
発動させずに、倒しきることを考えたほうがいい。
私の能力は知られているけれど、発動条件まではわかっていないはずだから、早めに私のテリトリーに引き込むべきね・・・。
そんなことを考えていると、冷えついた控え室に、司会の声が響いた。
「さあ、2回戦第3試合!かおりしゃんvsほしみ!!」
かおりしゃんは立ち上がると、ステージに歩いて行った。
その後ろを、ほしみも歩いていく。
ステージに上がると歓声が聞こえてきた。
観客たちのその歓声には、若干の緊張の色も混じっていた。
「でたわよ、彼女が」
「ごくり・・・一体どんな能力なんだろう」
かおりしゃんは薄桃色の唇をキュッと結ぶと、微笑んだ。
1回戦と同様のえも言われぬ焦燥感が会場全体を包んでいく。
ほしみは傘をくるくると回し、ギッとかおりしゃんを見つめた。
会場全体が感じていた。
この勝負、激しいものになると。
2回戦第3試合
かおりしゃん vs ほしみ
「先行はかおりしゃんです。どうぞ!!」
「スライムタワー」
「ワールドカップ」
「プログラム」
「ムンバイ」
かおりしゃんは、一瞬固まると、司会者にむきなおり、妖艶な笑みを浮かべた。
そして唇に人さし指を当てると、しな垂れるように言う。
「イ・コ・プ♪」
「・・・セーフ」
「おいみろ!今まで感情を表に出さなかった司会者が!」
「3歩下がったわね!!」
「若干声も震えてるようだったよ!」
「プディング」
そのやりとりを遮るように、ノータイムでリターンするほしみ。
かおりしゃんは、すこし不満そうにほしみに向きなおる。
かおりしゃん・・・そんな遊んでる暇はないはずよ。
あなたの相手は私。さあ、そろそろ私の能力に掴まりなさい。
「グラタンコロッケ」
その言葉が出た瞬間、ほしみの傘がくるりと回った。
冷たい空気が、部屋の外に溢れるように窓を揺らす。
「あ、この感じは・・・!」
「発動!ほしみ選手の『お天気お姉さん』」
「以降、かおりしゃんはお天気関連でしか答えられません」
発動能力:お天気お姉さん
相手が「お、て、ん、き」のどれかを含む単語を使用したときに発動。
以後相手はお天気関連の言葉しか言えなくなる。
ただし、同じカテゴリーの天気の言葉を2回続けると、能力は解除される。
かおりしゃんの周りに薄い空気の層がまとわりついた。
白いブラウスがふわふわと舞い、綺麗なストレートの髪は乱れ揺れる。
「来たぞ・・・強能力!」
「こいつが・・・本当にやっかいなんだよな・・・」
能力発動に沸き立つ会場。
しかし、かおりしゃんは顔に張り付く前髪を無造作に払うと、小さくつぶやいた。
「興奮してきた、はぁはぁ」
ごくりと唾をのむ音が会場から聞こえてくる。
ほしみの頬に一筋の汗が流れ落ちた。
この子・・・私の能力を受けて・・・この余裕・・・
「ケバブ」
「ブルックリン天気予報」
「これは・・・俺が使った作戦・・・!」
「地名返しね・・・しかし、この作戦は長くは持たないのは先の試合でわかってるはず・・・」
「ウール」
「累計雨量」
「グレイト!」
「す、すげえー!」
「ガチでお天気関連の言葉じゃねえか!」
「雨天結構」
「雨季」
「お、お天気しばりしりとり・・!こんな高度なしりとり、見たことないよ!」
「本当だぜ・・・、ん、なんだ?!」
先ほどまでかおりしゃんの周りに揺蕩っていた薄い空気の層が静かに消えていく。
観客たちも、部屋の気圧が戻っていくのを感じた。
「能力解除!」
「解除だと・・!?」
「これは、初めてのパターン・・・」
ほしみは黄色い傘から力が抜けていくのを感じた。
思わず、口に出す。
「やるわね」
「条件を満たしたため、「お天気お姉さん」は解除されました」
「そんな・・・解除させる条件があったなんて・・・」
「しかし、その条件は一体なんだったんだ・・・?」
かおりしゃんは、乱れた髪を手ぐしで直すと。
何事もなかったかのように、続けた。
「う、いきます」
「雨期」
「条件は解除されたのに・・・相手の土俵で戦うなんて」
「なんて余裕だ」
ほしみは、思った。
この子、強い。能力は発動しないけれど、それでも、強い。
しかし、ほしみは見逃していなかった。
表情は変わらないけれど、かおりしゃんの頬にも、一筋の汗が流れていることに。
強がっているけれど、私の能力は彼女を追い詰めている。
そして、今の、「雨期」・・・。
ほしみは再び傘を掲げ、ぐるぐると回した。
「発動!『お天気お姉さん』が再び発動しました」
「また・・・!」
「逃げられない・・・!お天気お姉さんから・・・!」
さあ、かおりしゃん。
あなたの本当の姿を見せなさい!
ほしみは傘をばっと掲げると、答える。
「禁欲生活」
かおりしゃんは、体に再びまとわりつく空気を感じた。
耳がキーンと痛くなる。
「つ」で始まる、お天気関連の言葉・・・。
「つ」で始まる・・・お天気関連の言葉・・・。
浮かばない。
冷や汗が流れる。
かおりしゃんはわかっていた。
この子は、未婚。
私の能力が発動しても、この子にはなんのダメージもないことを。
それを悟らせないためにも、私は表情を偽っていた。
私の中にある不安を、見せないために・・・。
あの人に出会ってから、ずっと、そうして来たように・・・。
「固まった・・・かおりしゃんが」
時間が流れる。
司会の男が、ゆっくりと手をあげる。
「・・・」
かおりしゃんは俯いた。
その身体中から放たれていた冷気は、いつのまにか消えていた。
「冷たい雨」
「・・・形容詞のため、アウト!かおりしゃんOVER!」
「きええええええ!」
かおりしゃんは大声で叫んだ。
手をバタバタと振り、悔しがる。
その様子は先ほどまでの凄絶な雰囲気を少しもまとわず、一人の普通の女の子のそれだった。
「ウフフ、今日も血の雨ね」
ほしみは、かおりしゃんに近寄る。
憑き物が落ちたように座りこむかおりしゃん。
「土砂降りです」
拍手の音が聞こえ始める。
会場のあちら、こちらで。
そして、それは歓声とともに、会場全体を包み込んでいった。
「二人とも、すごかったぞー!」
「能力発動してからのかおりしゃんすごかった!」
かおりしゃんはそんな会場の様子に答えるかのように、すっくと立ち上がる。
ぺこりと、頭を下げた。
「あの子も・・・悪い子じゃないのかもね」
「ははっ。そうだな、結局能力はわからなかったけど」
穏やかな空気が流れる中、司会の男が説明を始める。
「なお、かおりしゃんの能力は『恋泥棒』。発動条件は誰かが誰かにいいねをした時」
「へえ」
「発動すると、すべての既婚者が離婚します」
「とんでもない」
かおりしゃんはにっこりと微笑むと、観客に向けてぐっと親指を立てるのだった。
「かおり、ごめん、近週末も会えない」
「えっ・・・お仕事、入っちゃった?」
「う・・・ん。いや、仕事じゃないんだけど・・・」
「あ、そっか、お家のこと」
「悪い・・・」
「いいんだよ、私は大丈夫」
かおりはにっこり笑った。
全然大丈夫じゃなかった。
久しぶりの二人の時間を、ずっと楽しみにしていた。
でも、悲しい顔をしたら、彼に辛い思いをさせてしまうから。
そして、そうさせてしまったら、二人の関係は終わってしまうかもしれないから。
かおりはいつしか、感情を心に押し込めて、偽りの自分を演じることを覚えた。
この大会にどうして自分が選ばれたかわからない。
でも、出てみようと思った。
それが何かのきっかけになると思ったのかもしれない。
でも、結果はこれだ。
ただ負けただけだった。
かおりしゃんは、控え室の机に座った。
砂になった携帯電話の残骸を指でなぞる。
帰ろうかな、そう思ったときだった。
「ねえ、あなたの能力」
「ん」
ほしみが話しかけてきた。
彼女の横に座ると、続ける。
「いいね、で発動するって言ってたけど。それって、自分でいいねしても発動するってこと?」
「・・・するよ」
「ふうん」
「なんで?」
「・・・ねえ、あなたの能力って、しりとりのためのものじゃないよね」
「・・・」
かおりしゃんは、何も言えず固まった。
ほしみは、きっと私の状況を分かってるんだろう。
「あなた、優しいのね」
驚いて、かおりしゃんはほしみを見つめる。
「だって、その能力、使ってないってことでしょう?使えばいいのに、使わないんでしょう?」
かおりしゃんはビクッと体を震わせた。
「だって、私は・・・彼を傷つけたくないもん」
「違うわ」
「えっ」
「あなたは彼を傷つけたくないんじゃなくて・・・自分が傷つきたくないだけなのよ」
「・・・」
「あなたは優しい。でも、それは自分に優しいの。弱い自分を守りたくて、それで優しいだけなの」
違う、そうじゃない、そう言いたくて言葉が出てこなかった。
そしてほしみの言葉が、自分の心に貼り付けてきた仮面を剥がしていくようで、怖かった。
「やめて・・・」
いやいやと耳をふさぐように、机にうずくまるかおりしゃん。
ほしみは、ふう、と息を吐くと。かおりしゃんの肩に優しく手を置いた。
「ねえ、あなたの本当の心はどう思ってるのか、知ってる?」
「本当の心・・・?」
「心の天気ってね、言葉に出るの。さっきの戦いで、あなたの心は、雨ばかり降ってた」
「・・・」
「本当のあなたは、変わりたいって思ってる。晴れた日の光を浴びたいって、思ってるはずだよ」
かおりしゃんは、ほしみの言いたいことが、なんとなくわかった。
ほしみは、かおりしゃんの肩をぽんぽんと叩くと、言った。
「やまない雨はないけどね。外に出なきゃ、結局一緒なの。ね?」
「・・・うん、そうだね」
かおりしゃんは、ぽろぽろと涙を流した。
そして、その小さなプクリポをぎゅっと抱きしめる。
ふおおと暴れるほしみを抱きしめ、わんわんと泣き始める。
人目も気にせずに。
思いっきり泣こう。
そして、帰ったら、彼の前でも思いっきり泣いてやるんだ。
私、辛いって言ってやるんだー。
かおりしゃんはそう思うと、なんだか心が、とても軽くなった気がした。
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